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【小野寺機関】
昭和十三年十月、支那事変の拡大長期化による対ソ戦備の崩壊を危惧する参謀本部ロシア課から、小野寺信中佐が上海に派遣され、参謀本部の嘱託として情報収集に従事していた吉田東祐と合流し、上海のアスターホテルに事務所を設けた。小野寺機関は諜報活動だけでなく、蒋介石政権に対する直接和平工作を行ったが、影佐禎昭大佐ら汪兆銘政権樹立派によって排撃され、昭和十四年七月、小野寺中佐は失意のまま陸大教官に左遷された。 近衛文隆は、上京する小野寺中佐に、蒋介石に対する直接交渉の必要性を説く父の文麿宛の親書を手渡し、自ら戴笠少将率いる重慶特務機関「藍衣社」に接触するなど、熱心に直接和平工作を行った為、汪工作従事者から睨まれ、召集令状一本で満洲に送られ、ソ連軍の捕虜となり、敗戦後、文隆はシベリアで獄死した。 中央から付けられた要員 吉田 東祐(商大卒、巣鴨高商教授) 橋本五郎次(ユダヤ問題専門家) 高屋 覚三(大阪高工卒、モスクワ大学卒、ソ連通、共産党転向者) 輿田 某 (仮名磯田与助、モスクワ大卒、ソ連通、共産党転向者) 再故白(ソ連通)―連絡者 現地雇い 木村 重(生物学者、重慶情報提供者) 林 某(台湾人)―連絡者 加藤 昇(政治浪人) 諸生来(高師卒)―連絡者 呉逸 連絡者 事務所に出入りした協力者 近衛 文隆(東亜同文書院理事、支那問題研究家) 武田 信近(慶応大学卒) 早見 親重(九大卒) 参考文献 二つの国にかける橋(吉田東祐著/元就出版社) バルト海のほとりにて武官の妻の大東亜戦争(小野寺百合子著/共同通信社) |
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