【国民のための大東亜戦争正統抄史1928-56戦争の天才と謀略の天才の戦い94〜95大東亜戦争の本質】
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【大東亜戦争の本質】 94、大東亜戦争の本質 国際法上、戦争は国家間の合法的決闘であり、講和条約の発効によって終了する。従って大東亜戦争の終結日は昭和二十年八月十五日ではなく、昭和二十七年(一九五二)四月二十八日のサンフランシスコ講和条約の発効に続いて日ソ共同宣言が発効し、日ソ間の交戦状態が終了した昭和三十一年(一九五六)十二月十二日である。然らば、その開始日は何時とすべきか?
戦後日本の通説では廬溝橋事件(昭和十二年七月七日)ないし真珠湾攻撃(昭和十六年十二月八日)であるが、いずれも正しくない。 東京裁判において日本断罪の根拠とされた不戦条約が締結され、帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務に関するテーゼ(コミンテルン二十八年テーゼ)が発表された昭和三年(一九二八)秋、世界最終戦争による世界恒久平和を構想した「戦争の天才」石原莞爾が関東軍作戦参謀として満洲に赴任し(十月)、三・一五事件の検挙から奇跡的に逃れた「謀略の天才」尾崎秀実が朝日新聞社上海支局に転勤し(十一月)ソ連のスパイとなり、世界共産主義革命による世界恒久平和を構想したことから、大東亜戦争は開始されたのである。 第一次欧州大戦後、ヨーロッパに蔓延した反戦平和主義が戦争の惨禍の再発を恐怖し回避しようとする余り、ナチスドイツの軍事膨張に対する宥和政策を生み出し第二次欧州大戦を勃発させ、世界恒久平和の実現をめざした日本の二人の天才が大東亜戦争の勃発を主導したのである。第二次世界大戦は、「平和主義は時として大きな戦争を引き起こす」という悲しい逆説の証明であった…。 そして大東亜戦争の本質は、人種と資源をめぐる宿命の戦い(小林よしのり氏)、門戸開放主義をめぐる日米抗争、共産主義との戦いという二大底流の合する所に生起せる戦争(中村粲氏)ではなく、第一次日露戦争(一九〇四〜〇五)、第二次日露戦争(シベリア出兵、一九一八〜二二)に次ぐ第三次日露戦争(一九二八〜五六)というべきであろう。 第一次日露戦争にて大日本帝国は明石元二郎大佐をロシア帝国に派遣し、その革命気運に乗じてその内部に諜報謀略網を組織して大勝利を収め、第三次日露戦争にて国教をロシア正教からマルクス・レーニン教に替えたロシア帝国は尾崎秀実、ゾルゲを大日本帝国に派遣し、その革新気運に乗じてその内部に諜報謀略網を組織して大復讐を果たしたのである(1)。すなわち我が国の敗因は、報復の原則(敵が新しい兵器戦術戦略を使用すれば、味方はそれらを模倣しその対策を立て報復すべし、味方が新しい兵器戦術戦略を使用する際は、敵がそれらを模倣しその対策を立て報復を仕掛けてくることに備えるべし)を弁えず防諜体制の強化を怠ったこと、天皇尊重を偽装しただけの共産主義者を転向者と判定し釈放していた治安維持法に基づく取締の寛容、そして尊皇愛国の精神を涵養する教育の不足であったといえよう。 国家に物資が満ち溢れ科学技術が高度に発達しても、国家の栄枯盛衰は国家を動かす人に在り、而して人の正邪曲直は人を動かす内なる精神によって決せられるのである。 (1)日露間の講和条約がポーツマスで調印された後、帰国を命令された明石大佐は、ヨーロッパを去るにあたり、参謀次長の長岡外史少将宛てに長文の手紙を書き送り、ロシアのロマノフ王朝はいずれ民衆の大々的な蜂起によって崩壊し、その後に来るものは、社会主義、共産主義の潜行跋扈である、と的確に予想し、日本は戦勝に油断することなくこれに対抗する準備を直ちに開始しなければならないことを力説した。しかし明石元二郎は、その後、歩兵第七連隊長、韓国駐留軍参謀長兼憲兵隊長、参謀次長、第六師団長、台湾総督兼台湾軍司令官を歴任し、彼から諜報謀略の威力を学んだレーニンが世界赤化の参謀本部としてコミンテルンを創設してから七ヶ月後の大正八年(一九一九)十月二十四日、脳溢血に襲われ五十五歳の若さでこの世を去ってしまった。明石は、レーニンそしてスターリンが指揮するコミンテルンの世界赤化の野望を打ち砕く力を持つ偉大な軍人だっただけに、彼の急逝は、大日本帝国だけでなく世界人類にとって真に不運であり不幸なことであった。豊田穣【情報将軍明石元二郎】四〇三〜四一一頁。 戦時中、大本営陸軍部情報部の堀栄三少佐は、諸種の情報を徹底的に収集分析しアメリカ軍の作戦行動を的確に予想し、マッカーサー参謀という異名を取ったが、彼は、陸軍士官学校卒業後、騎兵少尉に任官してから、陸軍大学校卒業後、士官学校戦術教官を経て、昭和十八年十月一日、情報部ドイツ課付参謀に起用されるまで、一度も情報教育を受けたことがなく、堀少佐はたまたま情報部に起用され、困惑しながらも勤務中に情報戦のイロハを学び、天性の情報能力を開化させたのである。 陸軍大学校には、情報学級も特殊な情報課程もなく、わずかに情報訓練が行われたこともあったが、それも戦術や戦史、通信課程の付随的なものに過ぎず、大東亜戦争中の我が国では、情報戦の素人が突然に大本営陸軍部の情報参謀に起用され実務を任されるという、信じ難い人事が行われていたのである。堀【大本営参謀の情報戦記】十七頁。 およそ戦いに身を投ずる者は、分野を問わず、休戦後、必ず戦いの軌跡を正確に分析し、敗因を克服し勝因を継承し、次の戦いに備えなければならない。 日露戦争後、我が国の政府軍部首脳が明石大佐の大活躍を目の当たりにしながら、彼を長とする統合情報機関を創設せず、陸軍大学校で諜報謀略を含むあらゆる情報戦の教育を充実させ明石大佐の経験を学生に学ばせなかったことは、孫子の兵法に反する理解し難い大失態であり、万死に値する大罪と言えよう。 昭和十五年(一九四〇)七月二十七日、イギリス駐日大使クレーギーと親しいロイター通信東京支局長ジェームス・コックスが英国系船舶会社支配人の海軍予備大佐アダムス某と共にスパイ容疑で逮捕され、三十一日、監視憲兵の隙に乗じて飛び降り自殺した。大谷敬二郎【昭和憲兵史】三九二〜三九六頁。 昭和史の証言真崎甚三郎の著者山口富永氏は同書四十八頁に、 「昭和十五年に、コックスというドイツ共産党のスパイが、憲兵隊に逮捕されて取り調べを受けている時、そのすきを狙って取調室の二階から飛び降りて自殺したことがあった。この時、このスパイの手帳の中に『日本の大官、顕官を全部とりこにすることができた。但し、陸軍の真崎だけは梃子でも動かなかった』と書きしるしてあった、と筆者はある筋の権威者から聞いた」 と記述している。この記述は、情報源を明らかにせず、裏づけとなる第一次資料を持っていない伝聞ではあるが、現在の筆者の心境は、この記述はおそらく真実に近い、と確信するに至っている。 95、戦後民主主義の本質 トラウトマン工作の終了以降、日支和平交渉の仲介人を務めた萱野長知は、上海における松本重治との会見を「運命の日であった」と悔やみ(1)、昭和十三年の宇垣・孔祥煕工作が流産した後も、汪兆銘政権樹立工作は「子宮外妊娠」であり(2)、 「汪兆銘を成立せしめても長びくのみにて喜ぶ者は共産党と英、仏、露、米国らのみ」 と看破し(3)、日本と蒋介石政権との直接和平実現の為に、日米開戦直前まで日支間を懸命に奔走し、その志ついに成らずも、昭和二十一年、吉田茂内閣によって長年の功労を認められ貴族院議員に勅選された。だが萱野老は「野人その任に非ず」とこれを固辞し、翌年四月十四日、この世を去った。 昭和二十年九月一日、萱野老は、古くからの同志に宛てた手紙の中で、日支提携を衷心より望んでいた孫文と義兄弟の契りを結んだ間柄でありながら、日支間の全面和平を回復できなかった自分の無力を恥じ、断腸の思いをにじませながら敗残日本の行く末に絶望したのであった(4)。 「去る十九日御認めの御書面只今拝読致候。実は此頃如何ヤと御案じ中に有之処、次第に御快方の由、安心致候。東哥々のお宅は戦災に罹りたる由、未亡人もお困りとの事と拝察申上候。但し老兄の方面は御無事なりしは不幸中の幸と存候。小生の芝の宅は没有と為りたるも、腰越は戦災を免れ申候。但し此頃は多数の聯合艦隊が江の島付近より小田原三崎方面にかけて浮城を築き、夜は不夜城にて恰も海市の如く、洋中の壮観を現わし申候。 我七十三歳、始めて夷・斉の心持ちを理解致候。但し首陽山がないのでお米さんの御領地で飯を食い、湘南に釣して余生を送らんかなと思居候。重慶の旧友も段々やって来ると思わる。我等何の面目あって彼等を見んか。最早娑婆っ気を脱して乾坤無用人と相成可申候。『把竿何処之、江島泛扁舟、世事不評論、応和欸乃叟』とは予め覚悟に候へども、凡夫の悲しさ時に愚痴も出で可申候。此方面はエサ無之、大に痩せ申候。皺腹を切るも不甲斐なき心地致候。命長くして辱多しとは、古人今人一様に存候。 八月十五日偶筆 擬荘宗詞韻 一葉落。乾坤寞。如今万物当新作。 回頭心肝寒。紅嵐吹戒幕。吹戒幕。 錯雑都荒漠。 又擬長左思詞体韻 先覚憂。後覚憂。憂悶傷心何歳休。 亜東雲肖愁、人涕流、鬼啾啾 鬼怒人悲仇未酬。仰天又垂頭。 こんな気持致居候。老兄以て如何と為す。早く全快して焼野原の京浜其他大中小の都市を一見するも参考と為るべし。覇道の末路はこんなものなり。 お気の毒の人は腹を切り、ツケ火の張本人はノホホンで巧みに時めく、之では立直りの見込み更に無之候。我兄以て如何。首相宮殿下のお陰で言論通信自由と為れり。時には通信致度く候。長知」 翌日、我が国の政府統帥部代表はアメリカ海軍戦艦ミズーリ号上でポツダム降伏文書に調印した。昭和二十年九月五日、東久邇宮稔彦王首相は、第八十八回臨時帝国議会(昭和二十年九月一日召集、四日開会、五日閉会。帝国憲法第四十三条「臨時緊急の必要ある場合に於いて常会の外臨時会を招集すべし臨時会の会期を定るは勅命に依る」に基づく)における「戦争終結に至る経緯竝施政の方針に關する演説」の中で、ポツダム宣言の履行と帝国憲法の遵守、そして自由主義および議会制デモクラシーの復活強化を高らかに宣言した。 「是より先、米英支三国はポツダムに於て帝国の降伏を要求する共同宣言を発し、諸般の情勢上、帝国は一億玉碎の決意を以て死中に活を求むるか、然らざれば終戦かの岐路に立つたのであります、日本民族の将来と世界人類の平和を思わせられた大御心に依り、大乗的御聖断が下されたのであります、即ち「ポツダム」宣言は原則として天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居らざることの諒解の下に、涙を呑んで之を受諾するに決し、茲に大東亜戦争の終戦を見るに至つたのであります。帝国と連合各国との間の降伏文書の調印は、本月二日横浜沖の米国軍艦上に於て行はれ、同日御詔書を以て連合国に対する一切の戦闘行為を停止し、武器を措くべきことを命ぜられたのであります。顧みて無限の感慨を禁じ得ませぬと同時に、戦争四年の間、共同目的の為に凡ゆる協力を傾けられた大東亜の諸盟邦に対し、此の機会に於て深甚なる感謝の意を表するのであります、連合国軍は既に我が本土に進駐して居ります、事態は有史以來のことであります、三千年の歴史に於て、最も重大局面と申さねばなりませぬ、此の重大なる国家の運命を担って、其の向かうべき所を誤らしめず、国体をして彌が上にも光輝あらしむることは、現代に生を享けて居りまする我々国民の一大責務であります、一に懸つて今後に処する我々の覚悟、我々の努力に存するのであります。 今日に於てなお現実の前に眼を覆い、当面を糊塗して自ら慰めんとする如き、又激情に駆られて事端を滋くするが如きことは、到底国運の恢弘を期する所以ではありませぬ。一言一行悉く天皇に絶対帰一し奉り、苟くも過たざることこそ、臣子の本分であります、我々臣民は大詔の御誡めを畏み、堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで、今日の敗戦の事実を甘受し、断乎たる大国民の矜持を以て、潔く自ら誓約せる「ポツダム」宣言を誠実に履行し、誓つて信義を世界に示さんとするものであります。 今後に於ける我が外交の基本も、正しく之に存するのであります、畏くも大詔に於きましては「世界の進運に後れさらむことを期すべし」と御示しになつて居ります、私共は維新の大業成るに当たり、明治天皇御自ら天地神明に誓わせられました所の五箇條の御誓文の御精神に復り、此の度の悲運に毫も屈することなく、自肅自重徒らに過去に泥まず、将来に思い迷うことなく、一切の蟠りを去つて虚心坦懷、列国との友誼を回復し、高き志操を堅持しつつ、長を採り短を補い、平和と文化の偉大なる新日本を建設し、進んで世界の進運に寄与するの覚悟を新たにせんことを、誓い奉らなければならぬと存じます。 国民諸君も亦畏き聖慮の存する所を再思三省され、心機一転、溌剌清新の意気を以て、新たなる御代の隆昌に向つて勇往邁進して戴きたいのであります。是が為に特に溌剌たる言論と公正なる輿論とに依つて、同胞の間に溌剌たる建設の機運の湧上ることが、先づ以て最も重要なりと信ずるのであります。私は組閣の初めに当たりまして建設的なる言論の洞開を促し、健全なる結社の自由を認めたき旨意見を表明する所があつたのでありますが、政府と致しましては、言論の尊重、結社の自由に付きましては、最近の機会に於きまして言論、出版、集會、結社等臨時取締法を撤廃致したき意向であり、既にそれ等の取締を緩和致しましたことは(註、八月二十八日)曩に発表致しました通りであります。 苟くも国民の能動的なる意欲を冷却せしむるが如きことなきよう、今後とも十分留意して参る所存であります、特に帝国議会は、国民代表の機関として名実共に真に民意を公正に反映せしめ得る如く、憲法の精神に則り正しき機能を発揮せられんことを衷心より希望するものであります。」 ポツダム宣言第五項には「吾等の条件は、左の如し、吾等は、右条件より離脱することなかるべし」とある。文字通りポツダム宣言とは我が国に有条件降伏を要求するものであり、宣言に列挙された連合国の対日条件は、連合国および日本国の双方に権利と義務を課したのである。しかも日本政府は、「疑わしきは主権に有利に解釈せらるべし」という国際法の大原則に基づき、ポツダム宣言の曖昧な部分を日本側の有利に解釈し、可能な限り日本国の義務を軽減することができた。アメリカ国務省はこのことを熟知しており、ポツダム宣言によって連合国が計画していた日本に対する無条件降伏政策が著しく変更されたことに困惑していた。無条件降伏政策の骨子は以下の通りである。 1、敗者の発言権をすべて剥奪し、勝者が何でもできる権利を確保すること。 2、敵国の長期無力化、半永久的武装解除を実施すること。 3、今後戦争を起こすことができないように敵国の社会的基盤を完全に破壊すること 4、これらの政策を実行するために敵国を長期占領して占領下で徹底した改革を実施すること。 そこでアメリカ政府は、日ソ中立条約を蹂躙したソ連の遣り方を模倣し、昭和二十年九月二日に連合国および日本国を拘束する国際条約となったポツダム宣言を全条項に亘り蹂躙することを決意した。同年九月六日、アメリカ政府はトルーマン大統領の承認を得て「連合国最高司令官の権限に関するマッカーサー元帥への通達」を発し、「われわれと日本との関係は、契約的基礎の上に立っているのではなく、無条件降伏を基礎とするものである。貴官の権限は最高である」と訓示した。そして十五日、占領軍最高司令官のダグラス・マッカーサーは日本側に次のような命令を発表したのである。 「マッカーサー元帥は、連合国はいかなる点においても日本国と連合国を平等にみなさないことを、日本が明確に理解するよう希望する。日本は文明諸国間に地位を占める権利を認められていない。敗北せる敵である。最高司令官は日本政府に対して命令する。交渉はしない。」 我が国の政府はこの声明を聞いて驚愕した。ポツダム宣言の受諾に伴う日本国の国際的地位について十分に研究していた外務省の萩原徹条約局長は、次のように反論した。 「日本は国際法上、条件付終戦、せいぜい有条件降伏をしたのである。何でもかんでもマッカーサーのいうことを聞かねばならないないという、そういう国として無条件降伏をしたのではない。」 しかしこれがGHQに受け容れられるはずもなく、荻原局長はGHQの怒りを買い左遷を命じられた。日本列島を占領した連合軍は、対日要求の一つであった日本軍の無条件降伏と武装解除すなわち日本国の非武装化に乗じ、ポツダム宣言を蹂躙して残酷な対日追撃戦を開始、空前絶後の大検閲を行い、東久邇宮内閣によって復活強化された帝国憲法下の自由デモクラシーを抹殺し、日本国民から歴史の真実を知る機会を奪い、国防法体系および伝統的な家族と教育制度とを破壊し、大量の反軍反日プロパガンダを流布して、日本国民とりわけ知識と判断力を欠き洗脳に対して無防備な児童生徒学生から健全な愛国精神あるいは敢闘精神を喪失させ、日本に戦後民主主義と呼ばれる占領憲法体制を残して去っていった。 占領軍最高司令官のダグラス・マッカーサーは昭和二十一年の元日に「いまやすべての人が、不当な規制を受けることなく、宗教の自由と表現の権利を享受できる」との声明を出したが、これは真赤な虚偽であり、実態は違った。占領軍は検閲指針として以下の三十項目に関する言論を禁止した(昭和二十一年十一月二十五日付)。これは、日本国の義務であり権利でもあったポツダム宣言第十項「言論、宗教及思想の自由並に基本的人権の尊重は、確立せらるべし」に違反する措置であった。平和愛好諸国民を自称する連合国に、ポツダム宣言を遵守する公正と信義は無かったのである。
(14)第三次世界大戦への言及 とくに第21項「その他の宣伝」は酷く、占領軍の検閲対象はまさに縦横無尽、伸縮自在の無制限であった。一九四一年十二月十八日、アメリカ連邦議会は、第一次戦時大権法を成立させ、ルーズベルト大統領に、検閲の実施を含む戦争遂行上必要な大幅な権限を与えた。翌日ルーズベルトはこの戦時立法を根拠として合衆国検閲局の設置を定めた大統領令八九八五号に署名した。これによれば、検閲局長官は、郵便、電信、ラジオその他の検閲に関して、全く随意に職務を執行し得るものとされた。 奇しくも同日、日本では、帝国議会によって可決された戦時立法である言論出版集会結社等臨時取締法が公布された。この法律の罰則は最高刑懲役二年に過ぎなかったのに対して、アメリカの第一次戦時大権法第三百三項が規定した検閲違反者に対する罰則は、最高刑罰金一万ドルまたは禁固十年、あるいは双方であった。アメリカは日本よりも峻厳な戦時立法を行っており、占領軍は、アメリカ国内では一九四五年九月二十八日に大統領令九六三一号によって打ち切られたアメリカ政府の随意検閲を、既に戦時統制を解除し言論の自由を復活させていた日本国に導入したのである。然も一九四九年末には占領軍の検閲は事前検閲からより陰湿な事後検閲へ移行し、それはサンフランシスコ講和条約の発効日まで続いたのである(5)。 それから二十三年後の昭和五十年(一九七五)、高宗武と共に萱野長知の和平工作を妨害し、汪兆銘工作を推進し、支那事変を永久抗争化させた張本人の一人である松本重治は「上海時代−ジャーナリストの回想」なる回想録を発表し、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。松本は上海時代下巻のあとがき三一八頁で、 「私がこの上海時代を二年半がかりで書きつづけてきたのは、ある意味では、遺言を書くような気持であったということである。そしてその遺言の趣旨は、日本人はもっと中国人の気持をもっとよく理解して欲しいという一言に尽きる。約四十年前のことどもについての私の回想録は、東亜の一大悲劇たる日中戦争が惹き起こされた最大の原因が、当時の日本人の多くが、中国人の気持を理解し得なかったことにあることを、私なりに書きたかったのである。今日の私は、自らをオールド・リベラルと信じているが、個人の人格を尊厳視し、言論の自由を尊重し、平和を愛し、他の人々の思想行動に対して寛容であるという立場は、四十年以前の当時と、今日とで変わっていないつもりである」 と嘯き、平成元年(一九八九)、八十九歳でこの世を去り、天寿を全うしたのである…。 レーニンの著書「国家と革命」によれば、国家は特殊な権力組織であり、ある階級を抑圧するための暴力組織であり、当然あらゆる国家は非自由であるという。そして資本家階級が労働者階級を抑圧する資本主義国家が労働者階級が資本家階級を抑圧する社会主義国家へ移行し、労働者階級の独裁があらゆる生産手段を国有化し、資本家階級の反抗を打ち砕き、終局的に資本家が消滅し、階級がなくなったら即ち社会的生産手段に対する関係から見て、社会の構成員の間に差別がなくなった共産主義社会で初めて、抑圧する対象を喪失した国家は自らの存在意義をも喪失して死滅し、人間は自由について語り得るようになるというのである。ソ連のレーニン・スターリンによる大粛清は、マルクス、エンゲルス、レーニンの国家観から必然的に発生した人道に対する犯罪であった。 そしてレーニンが繰り返し力説した革命理論は、資本主義国家から社会主義国家への移行は暴力革命によらなければいけないということであり、レーニンは世界各国の共産主義者に対し、官僚組織、政党、議会、警察、常備軍などブルジョア国家機構の完全破壊を命じたのである。 だからこそコミンテルンの誕生後、資本主義国家の共産主義者は、社会改良主義者や祖国防衛のための愛国心を涵養する教育の必要性を訴える愛国主義者と非妥協的に戦い、青少年に対し祖国の前途に対する希望の燈を奪い、祖国蔑視、祖国呪詛の精神を扶植しようとするのである。これは、それだけ確実また急速にブルジョア社会を覆すためである(6)。 昭和二十七年、日本共産党の志賀義雄は、 「何も武装闘争などする必要はない。共産党が作った教科書で、社会主義革命を信奉する日教組の教師が、みっちり反日教育を施せば、三、四十年後にはその青少年が日本の支配者となり指導者となる。教育で共産革命は達成できる」 という我が国に対する呪いに等しい予言を吐いた…(7)。 我が国が連合国に降伏した後、インドネシアに残留し対オランダ独立戦争に参加した元日本軍将兵は、祖国独立の英雄として現地の民衆から大いに感謝され尊敬されていた。 ところが平成元年以降、歴代の日本政府が共産中国と南北朝鮮の反日的恫喝に脅え、彼等に媚び諂い土下座朝貢外交を繰り返したあげく、朝日新聞社ら反日の革新勢力によって捏造された「従軍慰安婦強制連行説」を始め、日本軍に被せられた冤罪を事実として認めてしまった結果、現地の民衆から、インドネシア残留元日本軍将兵は卑劣な侵略戦争の手先と非難され、彼等の子孫は侵略者の末裔として迫害されるようになった事例があるという…。 これほど救い難い残酷な悲劇は世界に類例を見ないであろう。日本のために、インドネシアのために、身命を賭して戦った日本人が日本政府によって名誉を剥奪され、インドネシア人によって非難されながら人生を終えねばならなくなってしまった。 日本政府は、日本民族を野蛮人に貶め「華夷秩序」を実現せんとする共産中国と南北朝鮮の歓心を買う為に、愚劣にも自ら率先して日本軍将兵の名誉と尊厳を売り、世界中に無知と偏見と誤解に基づく反日感情運動を蔓延させ、再び世界各国による対日包囲網を作り出しているのである。 戦後民主主義なるものは、我が国の犯した政治的過誤を一切直視することも反省することも無く、ソ連と尾崎秀実に協力して我が国を敗北へ導いた反日の革新勢力が報道と教育とを牛耳り、反戦平和主義者と正義道徳の守護者を演じて国民を欺き、ソ連、中国共産党、北朝鮮労働党、マルクス・レーニン主義を信奉礼賛し、彼等の謀略活動によって命を奪われた我が帝国陸海軍将兵とその御遺族、そして我が国我が民族の歴史に対し、誹謗中傷侮辱の限りを尽くすという、虚偽、卑劣、卑屈など人間界に存在するありとあらゆる悪徳が大手を振って跳梁跋扈する、錯乱と屈辱の時代であり、神武肇国以来、我が国の最も恥ずべき時代である。 今日、国民の代表である我が国の政治家と官僚の多くが国家に対する忠誠を忘却し、為政者に必要不可欠な、国家を支える四本の綱たる礼義廉恥―礼節を正し、信義を守り、足るを知って贅沢を慎み、恥を知って名誉を重んずる精神―を喪失し、自己保身に汲々として私利私欲に溺れ、無知を以て過去の反省と為し卑屈を以て外交の美徳と為す錯誤を犯している。国家の栄誉と国民の幸福とを蹂躙する彼等の無様な醜態は、戦後民主主義の産物以外の何物でもない。 我々日本国民自身がこれを覆滅して戦前から今日に至るまで我が国を呪い続けるレーニンの亡霊を払拭しない限り、道義日本の再興はあり得ないのである。蓋し祖国に高貴なる名誉と価値、光輝なる歴史が存在してこそ、国民は、国家の生命力たる、祖国を愛し守り発展させんとする精神を身命に宿すのである。 (1)三田村【戦争と共産主義】一五三頁。 (2)【萱野長知孫文関係資料集】三五七頁。神尾【香港日記】昭和十四年十月二十五日。 (3)【小川平吉関係文書2】六六〇頁「昭和十四年十月一日小川平吉宛萱野長知(在香港)電報」 (4)【萱野長知孫文関係資料集】二六五頁。 (5) 江藤淳【閉ざされた言語空間−占領軍の検閲と戦後日本】参照。 (6)【コミンテルン資料集1】一九三〜一九四頁「一九二〇年八月六日コミンテルン第二回大会 資本主義世界とコミンテルン プロレタリア革命とコミンテルン」 共産党が私有財産制度を否定し生産手段を国有化する独裁国家が果たして何時どのようにして死滅し得るのか?この問いに対してレーニンは「われわれは、国家は不可避的に死滅するというにとどめて、この過程が長期にわたること、それが共産主義の高度の段階の発展速度に依存していることを強調し、国家死滅の期日やそれの具体的形態の問題はまったく未解決のままに残しておいてさしつかえない。なぜなら、このような問題を解決するための材料がないからである」という実に詭弁家らしい逃げ口上を述べ、回答を避けている。レーニン【国家と革命】一三五頁。 筆者が推測するに、共産主義国家内でマルクス・レーニン主義の特徴であるテロ連鎖現象が長く続いて人口が激減し、国家の存立そのものが不可能になる時、国家は死滅するのであろう。 (7)田中正明【掃葉集このままでは日本は危ない】一三頁。 【主要参考引用文献】 公刊戦史 大本営陸軍部大東亜戦争開戦経緯1〜5 大本営海軍部開戦経緯1〜2 支那事変陸軍作戦1〜3 昭和二十年の支那派遣軍1〜2 北支の治安戦1〜2 大本営陸軍部1〜10 関東軍1〜2 中国方面陸軍航空作戦 海上護衛戦 (以上、防衛庁戦史叢書/朝雲新聞社) 日中戦争1〜5(児島襄著/文春文庫、一九八八) 太平洋戦争上下(児島襄著/中公新書、一九六六) 天皇1〜5(児島襄著/文春文庫、一九八一) 第二次世界大戦ヒトラーの戦い1〜10(児島襄著/文春文庫、一九九二) 大東亜戦争への道(中村粲著/展転社、一九九〇) 軍閥興亡史1〜3(伊藤正徳著/光人社文庫、一九九八) 興亡と夢1〜5(三好徹著/集英社文庫、一九八八) 重臣たちの昭和史上下(勝田龍夫著/文春文庫、一九八四) ヒトラーの戦場(柘植久慶著/集英社文庫、一九九三) 研究書 大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義(三田村武夫著/自由選書、一九八七) 近衛文麿とルーズベルト(中川八洋著/PHP出版、一九九五) 近衛新体制(伊藤隆著/中公新書、一九八三) 参謀の戦争(土門周平著/PHP文庫、一九九九) ピースフィーラー(戸部良一著/論創社、一九九一) 黎明の世紀(深田祐介著/文芸春秋、一九九一) 異なる悲劇日本とドイツ(西尾幹二著/文芸春秋、一九九四) 繆斌工作成らず(横山銕三著/展転社、一九九二) 仕組まれた南京大虐殺(大井満著/展転社、一九九五) 南京大虐殺はこうして作られた(冨士信夫著/展転社、一九九五) 南京虐殺の徹底検証(東中野修道著/展転社。一九九八) 敗者の戦後(入江隆則著/徳間文庫、一九九八) ハルノートを書いた男(須藤真志著/文春新書、一九九九) 日ソ諜報戦の軌跡―明石工作とゾルゲ工作(黒羽茂著/星雲社、一九九一) 戦略大東亜戦争(佐藤晃著/戦史刊行会、一九九六) 満洲事変(西内雅著/錦正社、一九八八) 世紀末から見た大東亜戦争(現代アジア研究会編/プレジデント社、一九九一) 日本は侵略国家ではない(勝田吉太郎編/善本社、一九九三) 世界から見た大東亜戦争(名越二荒之助編/展転社、一九九一) アジアに生きる大東亜戦争(アセアンセンター編/展転社、一九八八) 封印の昭和史(小室直樹、渡部昇一著/徳間書店、一九九五) 抹殺された日本人の現代史(小日本社編集員会編/全貌社、一九九五) 自ら国を潰すのか(小室直樹、渡部昇一著/徳間書店、一九九三) かくて昭和史は甦る(渡部昇一著/クレスト社、一九九五) 日本史から見た日本人昭和編(渡部昇一著/クレスト社、一九八九) 人間はなぜ戦争をするのか(日下公人著/クレスト社、一九九六) 軍ファシズム運動史(秦郁彦著/原書房、一九八〇) 戦後秘史崩壊の歯車(大森実著/講談社、一九七五) 悪の論理(倉前盛通/角川文庫、一九八〇) 日本的組織原理の功罪(長谷川慶太郎編/PHP、一九八六) 情報戦の敗北(長谷川慶太郎編/PHP文庫、一九九七) パール博士の日本無罪論(田中正明著/慧文社、一九六三) 満州国の遺産(黄文雄著/光文社、二〇〇一) ノモンハン事件の真相と戦果ソ連軍撃破の記録(小田洋太郎、田端元著/有朋書院、二〇〇二) Venona Decoding Soviet
Espionage in America(John Earl Haynes、Harvey Klehr著/エール大学、二〇〇〇) 資料 パル判決書上下(東京裁判研究会編/講談社学術文庫、一九八四) 東京裁判却下未提出弁護側資料1〜8(東京裁判資料刊行会/国書刊行会、一九九五) 東京裁判日本の弁明―東京裁判却下未提出弁護側資料抜粋(小堀桂一郎編/講談社学術文庫、一九九五) 終戦工作の記録上下(江藤淳監修、波多野澄雄編/講談社文庫、一九八五) 尾崎秀実著作集1〜5(尾崎秀実著/勁草書房、一九七九) 小川平吉関係文書1〜2(岡義武編/みすず書房、一九七三) 木戸幸一関係文書(木戸日記研究会/東京大学出版、一九六六) 木戸幸一日記上下(東京大学出版、一九六六) 近衛日記(共同通信社、一九六八) 宇垣一成日記(みすず書房、一九七一) 萱野長知孫文関係資料集(久保田文次編/高知市民図書館、二〇〇一) 枢密院重要議事覚書(深井英五著/岩波書店、一九五三) 大本営陸軍部戦争指導班機密戦争日誌(軍事史学会編/錦正社、一九九八) 東條内閣総理大臣機密記録(伊藤隆編/東京大学出版、一九九〇) 鳩山一郎日記(鳩山一郎著/中央公論社、一九九九) 現代史資料ゾルゲ事件1〜4(みすず書房、一九七一) 開戦前夜の近衛内閣(尾崎秀実、今井清一著編著/青木書店、一九九四) 現代史資料国家主義運動(みすず書房、一九六三) 現代史資料日中戦争1〜5(みすず書房、一九六六) 現代史資料国家総動員1〜2(みすず書房、一九七〇) 畑俊六日誌(みすず書房、一九八三) 矢部貞治日記銀杏の巻(読売新聞社、一九七四) 最終戦争論戦争史大観(石原莞爾著/中公文庫、一九九三) 石原莞爾資料国防論策編(角田順編/原書房、一九九四) 敗戦の記録(参謀本部編/原書房、一九六七) 日本陸海軍事典(原剛、安岡昭男編/新人物往来社、一九九七) コミンテルン資料集1〜5(村田陽一編/大月書店、一九八一) 我が闘争上下(アドルフヒトラー著/角川文庫、一九七三) マルクスエンゲルス共産党宣言(岩波文庫、一九五一) 満洲国歴史(矢野仁一著/目黒書店、一九三三) 禁苑の黎明(レジナルド・ジョンストン著/大樹社書房、一九三四) 満洲国出現の合理性(ジョージ・ブロンソン・レー著/日本国際協会、一九三六) 日本経済の再編成(笠信太郎著/中央公論社、一九三九) 一億人の法律(猪俣浩三著/有光社、一九四〇) 欽定憲法の真髄と大政翼賛会(川崎克著/固本盛國社、一九四一) 太平洋問題研究叢書太平洋に於ける英帝国の衰亡(角田順著、太平洋協会編/中央公論社、一九四二) 新世界の構想と現実(細川嘉六編/中央公論社、一九四二) 大アジア主義の歴史的基礎(平野義太郎著/河出書房、一九四五) 進歩的文化人―学者先生戦前戦後言質集(全貌社、一九五七) 伝記回顧録 参謀(児島襄著/文春文庫、一九七五) 日本の曲がり角(池田純久著/千城出版、一九六八) 幣原喜重郎とその時代(岡崎久彦著/PHP、二〇〇〇) 敗戦日本の内側(富田健治著/古今書院、一九六二) 侍従長の回想(藤田尚徳著/中公文庫、一九八七) 風雪五十年(内田信也著/実業之日本社、一九五一) 田尻愛義回想録(田尻愛義著/原書房、一九七七) 昭和動乱の真相(安部源基著/原書房、一九七七) 日本軍閥暗闘史(田中隆吉/中公文庫、一九八八) 大本営機密日誌(種村佐孝著/芙蓉書房、一九八五) 石原莞爾(藤本治毅著/時事通信社、一九六四) 石原莞爾(青江舜二郎/中公文庫、一九九二) 石原莞爾甦る戦略家の肖像上下(佐治芳彦著/日本文芸社、一九八七) 陸軍の異端児石原莞爾(小松茂朗著/光人社、一九九一) 将軍石原莞爾(白土菊枝著/中央公論社、一九九五) 秘録石原莞爾(横山臣平著/芙蓉書房、一九七一) 秘録宇垣一成(額田坦著/芙蓉書房、一九七三) 秘録土肥原賢二(土肥原賢二刊行会編/芙蓉書房、一九七三) 支那事変の回想(今井武夫著/みすず書房、一九六四) 作戦部長東條ヲ罵倒ス(田中新一著、松下芳男編/芙蓉書房、一九八六) 大東亜戦争収拾の真相(松谷誠著/芙蓉書房、一九八〇) 支那事変戦争指導史(堀場一雄著/原書房、一九七三) 岡村寧次大将資料(稲葉正夫編/原書房、一九七〇) 大本営参謀の情報戦記(堀栄三著/文春文庫、一九九六) 大東亜戦争回顧録(佐藤賢了著/徳間書店、一九六六) 参謀本部の暴れ者陸軍参謀朝枝繁春(三根生久大著/文藝春秋、一九九二) バルト海のほとりにて武官の妻の大東亜戦争(小野寺百合子著/共同通信社、一九八五) 瀬島龍三(保坂正康著/文春文庫、一九九一) 沈黙のファイル瀬島龍三とは何だったのか(共同通信社会部編/新潮文庫、一九九九) 近衛文麿上下(矢部貞治著/弘文堂、一九五二) 蒋介石秘録12(サンケイ新聞社、一九七一) ルーズベルト秘録下(産経新聞社、二〇〇〇) 第二次大戦に勝者なし上下(A・C・ウェデマイヤー著/講談社学術文庫、一九九七) 昭和研究会(後藤隆之助編/経済往来社、一九六八) 昭和研究会(酒井三郎著/TBSブリタニカ 一九七九) 日米開戦の悲劇(ハミルトンフィッシュ著/PHP文庫、一九九二) 私の見た東京裁判上下(富士信夫著/講談社学術文庫、一九八八) 私の中の日本軍上下(山本七平著/文春文庫、一九八三) 国際スパイゾルゲの真実(下斗米伸夫著/角川文庫、一九九五) ゾルゲ東京を狙え上下(ゴードンプランゲ著/原書房、一九八五) 日本陸軍英傑伝(岡田益吉著/光人社文庫、一九九四) さらば吉田茂(片岡鉄哉著/文芸春秋、一九九二) ハイエク(渡部昇一著/PHP出版、一九九九) 1941.12.20アメリカ義勇航空隊出撃(吉田一彦著/徳間文庫、一九九八) 二つの祖国にかける橋(吉田東祐著/元就出版社、二〇〇一) プリンス近衛殺人事件(V・A・アルハンゲリスキー著/新潮社、二〇〇〇) 秘録東京裁判(清瀬一郎/中公文庫、一九八六) 悲劇の証人(西義顕著/文献社、一九六二) 情報将軍明石元二郎(豊田穣著/光人社文庫、一九九四) 昭和史の証言真崎甚三郎、人その思想(山口富永著/政界公論社、一九七〇) 昭和憲兵史(大谷敬二郎/みすず書房、一九六六) 昭和史と私(林健太郎/文芸春秋、一九九二) その他 戦争学(松村劭著/文春新書、一九九七) 朝日新聞血風録(稲垣武著/文春文庫、一九九六) 悪魔祓いの戦後史(稲垣武著/文春文庫、一九九七) 正統の哲学異端の思想(中川八洋著/徳間書店、一九九六) 悪魔の思想(谷沢永一著/クレスト社、一九九六) 国民のための戦争と平和の法(小室直樹、色摩力夫著/総合法令、一九九三) 痛快憲法学(小室直樹著/集英社、二〇〇一) 憲法はかくして作られた(伊藤哲夫著/日本政策研究センター、一九九一) 地政学入門(曽村保信著/中公新書、一九八四) インフレとデフレ(岩田規久男著/講談社現代新書、一九九〇) 歴史の鉄則(渡部昇一著/PHP文庫、一九九六) 亡国か再生か(西村真悟著/展転社、一九九五) 朝日新聞の犯罪(世界日報社、一九八六) 日本共産党政権参加近し(木下義昭、早川一郎著/世界日報社、一九九八) 日本的革命の哲学(山本七平著/PHP出版、一九八二) 人類後史への出発(石原莞爾平和思想研究会編/展転社、一九九六) 世界が裁く東京裁判(終戦五十周年国民委員会編/ジュピター出版、一九九六) 日本国憲法を考える(西修著/文春新書、一九九九) 一九四六年憲法(江藤淳著/文春文庫、一九九五) 現行憲法無効宣言(南出喜久治著/動向平成九年盛夏号所載) 国際法と日本(佐藤和男著/神社本庁研修ブックレット、一九九二) 正統憲法復元改正への道標(小森義峯著/国書刊行会、二〇〇〇)など (順不同) その他多数にのぼりますが、この場を借りて諸先生方に厚くお礼申し上げます。なお本文中の資料について、読者の便を考え、筆者がカタカナをひらがなに、歴史仮名遣いを現代仮名遣いに直し、適宜句読点を加えました。龍井 榮侍 それにしても日本は今後物心両面に亘る恐るべき疾風怒濤時代を迎えるのである。アメリカは自己の善と信ずる生活文化、様式、思想を滝の如く注いで日本をアメリカ化せんとすることは明らかである。それは教育に浸透し、生活を風靡するに至るであろう。それに英国的、ソ連式思想が加わってくる。日本的思想、醇風美俗、世界人心は滔々たる大勢に押し流され、寸断されもみくちゃにされる。 私は日本は思想的にどん底まで叩き落とされるものと確信する。満洲事変、支那事変においても日本国民は目覚めず、大東亜戦争においても未だ精神的に立ち上がらず、その敗戦の惨烈さに遭ってはじめて覚醒するかと思えば未だしの感である。要するにまだ足りないのだ。落ちて落ちてどん底に突きあたりどうにもならぬ時に至ってはじめて民族の魂が究極の拠り所を呼び求めるのである。一陣の清風、一個の炬火、それは真に魂が求める時にこそ与えられるべきものである。怒濤よ逆巻け、暴風よ吹け、それはすべて日本人が経験しなければ目覚め得ぬ「民族の禊」である事を私は確信する(昭和二十年八月二十八日、石原莞爾)。 【あとがき】 私は幼少の頃より周囲の人間から変人扱いされてきたほどに歴史好きな男であり、いつか総合戦史を執筆したいと思っていました。 森首相が「日本は天皇を中心とする神の国」と発言した直後に行われた衆議院選挙の最中に、私はボランティアとして西村真悟さんの選挙事務所へ手伝いに行ったのですが、そこで遠山景久氏と「戦争と共産主義」の復刊に携わった月間日本発行人の南丘喜八郎氏の部下である月間日本編集委員の野間健さんと出会いました。私も野間さんも、「戦争と共産主義」を所有している人間は日本にほとんど居ない、と思っていたので、不思議な縁に驚き、すっかり意気投合しました。私は、東京裁判史観を覆す比類なき名著と評価される「大東亜戦争への道」のどこが名著なのかサッパリ判らず、せいぜい歴史辞書として役に立つ程度だな、と思っていましたが、野間さんも、中村教授は木を見て森を見ていない、と批判されており、私は自分の書評に自信を持ちました。私が総合戦史を書くために資料を集めていることを話すと、野間さんから是非、月間日本に寄稿してくれるよう頼まれ、原稿を書いたのですが、結局自分の力量不足のためボツになってしまいました。しかしこれを契機に本格的に戦史を執筆し、石原莞爾のホームページ管理人の八橋さんに無理を言って石原莞爾メールマガジンに2001年5月から翌年7月まで連載していただきました。割と好評だったので調子に乗って単行本化に挑戦してみたのですが、ダメでした。しかし「祖国と青年」の編集部を通して、元陸軍軍人であり、かつて山陽電鉄取締役を務められ現在は山口県の自動車学校社長兼国民文化研究所委員の加藤善之さんに原稿を読んでいただいたところ、加藤さんは私の自宅にまで電話をくれて「読んで本当に仰天しました。生きてて本当に良かった。ぜひあなたのような方に日本を指導していただきたい」と(!?)こちらが恐縮するほど(笑)大絶賛し激励して下さいました。そこで私は再度加筆修正を行い出版社の方に指摘された「資料の過度の生引用」を改め、三分の一ほど書き改めて「新風舎」に原稿を審査していただいたところ、大絶賛されました。ようやく私の原稿は単行本化に相応しい水準に達したということでしょう。 しかし深刻な出版不況の折、出版社が無名の人間の戦史を企画出版することは困難な様で、私は著者と会社が出版資金を折半する共同出版を提案されたのですが、残念ながら私は貧乏なもので、資金を工面できず単行本化を断念せざるを得ませんでした。 でもまぁこれも八百万の神々のお導きでありましょう。石原莞爾に「こらっ!龍井榮侍よ、私利私欲に溺れることなく日本民族の真魂真姿を蘇らせよ!」と大喝されたものと自分を慰めています。 学校が生徒に教える日本史とは全く違う「戦争の天才と謀略の天才の戦い 国民のための大東亜戦争抄史1928〜56」を読み、身命に真実を探求し祖国を防衛する志を宿した方、是非とも親類縁者、仲間友人同僚の方々に東亜連盟戦史研究所を宣伝して下さい。そして最低でも十人の知り合いに、この戦史を読ませて下さい。そうすれば日本は甦るでしょう(笑)。衰退著しい我が国を再興させる原動力は、国民一人一人の志です。 この作品が少しでも読者の皆さんの戦史に対する関心や興味を高め、勉強や研究に役立つことを祈念しつつ、私は筆を擱きたいと思います。 読んでいただき有難うございました。 |
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