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【国民のための戦時国際法講義12〜14戦争論の核心】

 

 

 

【戦争論の核心】

 

12、戦争の正体

 

人間が病気の発生を予防し或いは治癒し自己の健康を維持しようとすれば、病気の詳細を研究しなければならないように、人類が戦争の発生を予防し或いは鎮圧し世界の平和を維持しようとすれば、まず戦争の正体を考察しなければならないことは多言を要しないであろう。

戦争とは何か?この問いかけに対しては古来より様々な戦争の定義が提唱されてきた。

古代ギリシャの思想家キケロは、「戦争は力による闘争」といい、戦争と平和の法を著した国際法の父オランダのグロチウスは「力による闘争を行っている人々の状態」と定義した。

プロシアの軍事科学者クラウゼヴィッツは、「戦争は一種の強制行為であり、その本質は相手に自分達の意志を強要することである」と定義し、「戦争は、政治とは異なる手段で継続される政治的交渉の継続である」と戦争が政治の道具であることを強調した。

世界初の社会主義革命国家ソ連を樹立したレーニンは、「戦争は資本主義社会の究極の形である帝国主義から生まれたもので、資本主義の不可避な一部であり正当な形態であるが故に、資本主義が転覆され社会主義が世界で勝利を得た場合にのみ戦争の廃止が可能となる」と考え、世界共産主義革命の参謀本部としてコミンテルンを創設した。

朝日新聞社出身のソ連のスパイ尾崎秀実は、このレーニンの戦争論を信奉し、世界資本主義体制を覆滅し世界恒久平和を実現する世界革命の一環としての東亜新秩序―東アジア社会主義社会―の実現を目論み、近衛文麿の最高政治幕僚として大東亜戦争を企画演出したのである。

精神分析学者フロイトは、「戦争は人間の攻撃欲に根ざした本能的な資質の一つの表現である」と考えたが、アメリカの人類学者マーガレッド・ミードは、サモアの人々の平和な姿を見て、「戦争は発明にすぎず、生物学的必然ではない」と反駁し、平和な生活は他の国の人々にも可能である、述べた。

十九世紀から二十世紀に活躍した近代国際法家によって提唱された戦争の定義もまた実に多種多様である(1)。

 

「国又は人民が対手の国又は人民に対してその権利を尊重せしむる所の諸行為の集合。」(ブルンチュリ)

 

「平和たるべき国際社会の正常状態に反する所の事実的状態にして、その終局の目的が平和そのものにあり。」(ボンフィス、フォーシーユ)

 

「国家間に於ける権利状態を防衛せんがために強制的な権利手段に依る法律的概念。」(ブルメリンク)

 

「国と国とがその義務、権利および利益と信ずる所のものを調和し能わざる所より武力に訴え、そのいずれが強勢国として力に依りその意思を対手国に強要するを得るかを決する所の政治的行為。」(フンク・ブレンタノ及びソレル)

 

「国家間の争議にして当事国双方が武力に訴うるに至り、若しくは一方が他方に於いて平和の破裂と認め得る所の強力行為出づるにあらば、茲に交戦関係が成立す。」(ホール)

 

「勝者の意思を敗者の上に強制せんがため国際法の容認する力を使用することを得る国家間の関係」(コーラー)

 

「国家間に、若しくは一方は国家、他の一方は交戦に関し国家の権利を有する所の団体の間に、平和的関係を廃して代ゆるに敵対関係を以てする意思の下に公的武力に依りて行わるる争い。」(ロウレンス)

 

「二国間若しくは数国間に於ける相互の武力行使。」(リット)

 

「二国間又は数国間に於いて、互いに他を圧し、勝者がその欲する講和条件を課するの目的に於いて、武力を以てする争い。」(オッペンハイム)

 

「国民がその権利を主張及び弁明するに就いて、事柄の性質から及び何等共通的の上級法的を欠く所から、依って以て訴えざるを得ざる所の行為の国際的権利の行使。」(フィリモーア)

 

「国家間の武争にして、対手国の敵意を屈服せしむる所以の非常強制手段。」(リビエ)

 

「武力に依りて利を獲又は害を防がんと試むるための平和状態の中絶。」(ウールジー)

 

「一国家が対手国の抵抗力を挫き、自己の主張を貫く為に、対手国に対して平時に於いて許されざる加害手段を行い得べきことを認められ、且つ平時に異なる国際法上の関係即ち戦時国際法規上の権利義務の関係を生ずることを認められる所の二国又はそれ以上の国家の間に存する状態。」(立作太郎)

 

以上の定義の中でどれが正しいかと問われれば、筆者は「どの定義も隔靴掻痒の感(かゆい所に手が届かない)を否めず、戦争の本質を正確に表現しているとは言い難い」と答えざるを得ない。特にミードの戦争論は国内法秩序と国際法秩序の差異を弁えず、戦争の本質を知らない幼稚な誤認識にすぎない。

戦争の本質を見抜いた人物はスペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセトである。オルテガは、一九五四年にドイツで行った講演の中で、一六四〇年頃リシュリューの政策に従いハプスブルク家に挑戦するフランスに対して宣戦を布告せざるを得ない事態に陥ったスペインで、年老いたボルハ枢機卿がフェリペ四世に奉答した次の意味深長な言葉―『陛下、戦争とは、つける薬のないものにつける薬であります』―を引用して戦争の本質に触れ、

 

「戦争は、すべて、国際(国家間)紛争を解決する最終手段である。」

 

と簡潔に喝破した(2)。この「すべて」という一句にこそ戦争と平和の本質に対するオルテガの深い洞察が含まれているのである。

 

(1)信夫淳平【戦時国際法講義1】三五九〜三六二頁。

(2)色摩力夫【オルテガ】一九〇頁。

 

 

13、クレイジー・マックと大正デモクラシー・幣原

 

 昭和二十年(一九四五)十月十一日、東久邇宮稔彦王に代わって内閣を組織した幣原喜重郎は、マッカーサーを表敬訪問した際、彼から、

 

「ポツダム宣言の実現に当たりては日本国民が数世紀に亙り隷属せしめられたる伝統的社会秩序は是正せらるるを要す。

右は、疑いもなく憲法の自由主義化を包含すべし。而して右により企図せられたる目的を達成する為、貴下が出来る限り速やかに左の如き日本の社会秩序の改革を実施せられんことを期待す。

 

1、選挙権付与による日本婦人の解放

2、労働組合の結成奨励

3、より自由なる教育を行う為の諸学校の開設

4、秘密検察及びその濫用に依り国民を不断の恐怖に曝し来りたるが如き諸制度の廃止

5、日本の経済機構を民主主義(デモクラシー)化すること」

 

という趣旨の要求を伝えられ、十三日、閣議了承事項として元東大教授の松本烝治国務相を長とする憲法問題調査委員会を設置した。

 日本ではデモクラシーは「民主主義」と誤訳されているが、正確に訳されれば、「大衆(もしくは暴民)統治」である。これはアリストクラシー(哲人統治)の反対概念で、高尚な理念でも何でもなく、一般大衆が国家の統治権力に参加する特殊政治制度にすぎない。だから「経済機構の民主主義化」とは民主主義の語義を無視する、間違った言葉の使い方である。マッカーサーはこれを「反トラスト法のようなもの」と考えており、彼自身がデモクラシーを正しく理解していたかどうか実に疑わしい。また占領軍はポツダム宣言第十条「言論、宗教及思想の自由並に基本的人権の尊重は、確立せらるべし」を蹂躙し、一九四五年九月十日から日本の朝野全域に陰湿かつ卑劣な空前絶後の大検閲を実施、占領作戦に対する一切の批判を厳禁し、これを犯した者を処罰しており、東久邇宮内閣が戦時統制を解除し日本に復活させた自由デモクラシーは、占領軍の違法な軍国主義(軍人による政治支配)よって抹殺されたのである。

 

にもかかわらず、ぬけぬけと幣原首相に上記ごとき要求を提示したマッカーサーとは、ポルポトらカンボジア共産党を礼賛しながら平和人権の尊重と過去の反省を日本国民に要求する朝日新聞と同じく、厚顔無恥きわまりない狂人であった。

フランクリン・ルーズベルトは、陸軍参謀長であった彼を「まれなデマゴーグであり、アメリカで最も危険な二人のうちの一人」と評して忌み嫌いフィリピンへ追放したのである(1)。朝鮮戦争の勃発後、アメリカの対ソ封じ込め反共戦略の一翼を担う日本の再軍備計画が占領憲法九条に阻害され、アメリカ政府の思うままに進捗しない事態に陥るや、マッカーサーは、九条の立法責任を回避する為に、アメリカ上院外交軍事委員会証言(一九五一年五月三日)や回想録(一九六四年刊)の中で、「戦争放棄と戦力不保持の条項は幣原首相の自発的提案である」とのウソを平然と吐いており、この点においても彼は朝日新聞と変わらない。

かくのごときクレイジーな軍人がアメリカ上院外交軍事委員会で日本民族を次のように侮辱したことを、我々すべての日本人は国辱として記憶にとどめ、憤激と憎悪を抑制することなく、トルーマンと共にマッカーサーをアメリカの対日戦争犯罪人として未来永劫に糾弾し続けなければならない。それが戦後民主主義を覆滅する為の第一歩である。

 

 「科学、芸術、神学、文化の発展において、もしアングロサクソンが四十五歳だとすれば、ドイツ民族は同じくらいに成熟している。日本民族は、時間的には古い文明を持つが、非常に教化を必要とする。近代の文明の標準で測れば、彼らは四十五歳の我々よりは年下の十二歳の少年にあたる。ドイツ民族は我々と同じくらい成熟している。近代の倫理を無視して彼らが何をやったとしても、それは意識的になされた。しかし日本民族の場合は違う。類似点はまったくない。」

 

幣原首相は、我が国の立憲自由主義議会制デモクラシーが開花した大正デモクラシー時代に第一次加藤高明内閣(自由主義の護憲三派連合)の外務大臣を務めた政治家であっただけに、帝国憲法の真髄をよく体得しており、総理大臣に就任する直前の九日には、木戸幸一内大臣に、

 

「帝国憲法は本来充分に自由主義的かつ民主主義的です。ただそれが実際政治上誤って運用せられたために問題があった。だから運用を改めさえすれば目的は達成せられるはずです。」

 

と語り、マッカーサーに対しても「この程度の改革なら憲法改正は必要としますまい。第一項の婦人参政権はすでに政府として研究中のものであり、選挙法の改正でことは充分です」と反論し、憲法改正に極めて消極的な態度を示しており、松本委員会は憲法の改正を既定路線とした委員会ではなく、改正が必要か否か、もし必要があるとすればどの程度の改正が必要かを調査することを目的として設置されたのであった。

 十月二十七日、憲法問題調査委員会の第一回総会が首相官邸会議室で開かれ、松本国務相の他、顧問の清水澄、美濃部達吉、野村淳治の各博士、委員の宮沢俊義東大教授、楢橋渡法制局長官、次田大三郎内閣書記官長、入江俊郎法制局次長、佐藤達夫法制局第一部長が出席した。いずれも憲法改正には消極的で、この委員会の中心権威たるべく期待されていた美濃部博士自身、

 

 「私は、所謂『憲法の民主主義化』を実現するためには、形式的な憲法の条文の改正は必ずしも絶対の必要ではなく、現在の憲法の条文の下においても、法令の改正およびその運用により、これを実現することが十分可能であることを信ずるもので、今日の逼迫せる非常事態の下において、急速にこれを実行せんとすることは、悪戯に混乱を生じるのみで、適切な結果を得る所以ではなく、憲法の改正はこれを避けることを切望して止まないのである。」

 

との見解を述べており、宮沢俊儀も同様の意見を毎日新聞に発表していた。しかるに十二月二十八日、占領軍は次のような声明を発表したのである。

 

 「指令に次ぐ指令によって旧体制の殻は一つ一つはぎ取られ、封建制の触手は次第に除去された。天皇制度による強権支配の除去と共に天皇制度は破毀され、消滅せしめられることになろう。

かくて現在日本人の眼前におかれた計画は、これまで日本人に知られていた垂直面ではなく、水平面に政府を樹立することであり、それが主たる施策であって、その方向に指導し、綿密な監督を加えなければならない。」

 

実は前日、モスクワで米英ソ三国外相会議が開催され、極東委員会と対日理事会の設置が決定されていた。その任務は「降伏条項の完遂上、準拠すべき政策、原則、基準を作成すること」および「連合国最高司令官のとった行動」を検査することで、とくに「日本の憲政機構または占領制度の根本的改革」については極東委員会が優先的決定権を持つことになるとされており、この委員会が正式に発足すれば、連合軍最高司令官(SCAP)は日本の憲法改正に対する発言権を失うことになったのである。

「日本の平和化民主化」占領作戦の記念碑として彼自身の憲法を日本に樹立することを熱望するマッカーサーは、そうした事態を憂慮し、先手を打って日本政府に憲法改正の促進を督促し、露骨に言えば、脅迫したのであった。

さらに翌年の一月十三日には野坂参三が日本に帰国し、彼を指導者に迎えた日本共産党は天皇制の打倒を呼号し、朝日新聞社ら各新聞社内では革新運動の嵐が吹き荒れ、前年の治安維持法、思想犯保護観察法、治安警察法の廃止を受けて、戦時中は国体の衣をまとい「帝国主義国家相互間の戦争激発」宣伝謀略活動を行っていた共産分子が好機到来とばかりに国体の衣を脱ぎ捨て、民主化の名の下に首脳部を会社より追放して編集権を掌握し、国民世論の左傾化を煽動していた。事ここに至り松本国務相は我が国体を護持する為に、

 

「私のもっとも恐れるのは、最近における様に天皇制の論議が激しくなって来ると、付和雷同的な日本人のことであるから、現在では天皇制廃止論などは全国民の九牛の一毛に過ぎぬと思うけれども、やはり面白からぬ影響を与えると思うので、そうならない中に憲法を改正して天皇制に対する論議に一応の終結を与えたいのである。」

 

と憲法改正を決意し、二月一日、占領軍総司令部に、松本草案すなわち幣原内閣の憲法改正案である「憲法改正の要旨」および「政府起草の憲法改正に対する一般的説明」という二つの文書を届けたのであった(2)。しかるに、あにはからんや、これがマッカーサーを「旧明治憲法の言葉を置き換えたものに過ぎない、三ヶ月もかかって憲法は全く同じである。例によってむしろ悪くなった」と憤激させ、我が国の歴史も文化も憲法学も議会二院制の意義も知らず、英語の達人であった幣原首相の目から見れば、英作文すらも満足に書けないGHQ民政局の少壮将校に憲法改正の主導権を奪われる痛恨の事態を招き寄せたのである。

 

幣原内閣の憲法改正案の中で、とくにマッカーサーの怒りを被った条項は、「天皇は至尊にして犯すべからず」、「天皇は軍を統帥す、軍の編成及常備兵額は法律を以て之を定む」、「天皇は帝国議会の協賛を以て戦を宣し和を講ず」であった。

帝国憲法第三条にある「神聖」という公法慣用句の本来の意味は「政治的責任を追及されない無答責(無責任)の地位」であり、天皇は帝国憲法第四、五十五条に従い独自に如何なる法律勅令詔勅を発することのできない無権力の地位に置かれていたが故に、その代償として神聖不可侵の地位を与えられていたのである。

 

「恭て按するに天地剖判して神聖位を正す神代紀蓋天皇は天縦惟神至聖にして臣民群類の表に在り欽仰すべくして干犯すべからず故に君主は固より法律を敬重せざるべからず而して法律は君主を責問するの力を有せず独不敬を以て其の身体を干瀆すべからざるのみならず併せて指斥言議の外に在る者とす」(伊藤博文著大日本帝国憲法義解第三条)

 

しかし日本には、この第三条は「我が国は天皇が神の御裔として、現人神としてこれを統治し給うとする民族的信念の法律的表現である」との虚偽解釈を吹聴する憲法学者が存在し(3)、さらに日本における現人神とは天皇家の専売特許ではなく一般庶民でもなり得る神道のカミつまり「現実に生きている人間でありながら、尋常ならぬ不可視の威厳威力を持つ畏れ多き霊的な存在」なのに(例えば作戦の神様石原莞爾、打撃の神様川上哲治、経営の神様松下幸之助など)、神=ゴッド(GOD、天主)とする翻訳が、外国の一部にあたかも天皇は絶対権力を振るう全知全能のゴッドとして君臨し日本国民から熱狂的に崇拝されているとの誤解を生じさせており、これを解消する為に、昭和二十一年元旦に昭和天皇の人間宣言が行われ(4)、幣原内閣は念には念を入れて「神聖」という文言を「至尊」に置き換えたのである。

だがそんな事情をツユほども理解できないマッカーサーは、「天皇主権には手を触れていない」とか「陸海軍が軍隊になっただけである」とか「建物の内部構造を変えないで玄関だけをとりつくろう彼らの技術は見事である」とかの不満を表明し、「極めて反動的で鉄の手であらゆる審議を牛耳っていた」と松本国務相を非難した上で、

 

「日本政府に対して一番有効な手段は自分が基本的と考える原則の性質、適用を具体化した憲法草案をこちらで用意することである。」

 

断言したのである(5)。そして彼は自分の考えを手書きでノートに記し、それを民政局長ホイットニー准将に手渡し、新憲法の草案を起草するように命令したのであった。以下がそのマッカーサー・ノートの内容である。

 

1、天皇は国家元首の地位にある。皇位は世襲される。天皇の職務と権能は憲法の定めるところに従って行使され、憲法に示された国民の基本的意思に応えるべきものとす。

2、国家の主権的権利としての戦争は廃棄される。日本は、自国の紛争を解決する為の手段としての戦争を、さらに自国の安全を保全するための手段としての戦争をも、放棄する。日本は、自国の防衛と保護の為に、現今世界を動かしつつある崇高な理想に依存する。

 日本の陸軍、海軍、空軍は認められることなく、交戦権が軍隊に与えられることもない。

3、日本の封建制度は廃止される。華族の特権は、皇族を除き、現在生存する一代以上に及ばない。華族の地位は、今後いかなる国民または公民としての権利を伴うものではない。予算の形態は、英国の制度に倣うこと。

 

日本の封建制は明治政府の廃藩置県によって撤廃されたにもかかわらず、アメリカの降伏後初期対日占領政策には、第三項にあるような日本の封建制度の変革、廃止という語句が頻繁に登場し、戦後の日本国民の戦前に対する評価を混乱させている。このアメリカ人の摩訶不思議な歴史観の淵源は、米陸軍省およびGHQで対日占領政策を主導したケーディス米陸軍中佐ら革新軍事官僚(ニューディーラー)が日本を知る手引書として信奉していた、歴然たるマルクス主義者のカナダ共産党員E・H・ノーマン(GHQの対敵諜報部員、後にマッカーシズムの嵐に巻き込まれ自殺)の著書「近代国家として日本の登場」である。この著書は日本共産党および講座派の理論すなわちコミンテルン三十二年テーゼの摘要に過ぎない駄本であり、日本史の真実とは全く無縁である。

しかし、まことに愚劣なことであるが、「日本は半封建的封建的絶対主義的前資本主義的独占資本主義的軍事的強盗的帝国主義であり、日本の国内には封建制の強大な遺物、半封建的な搾取方法が認められ、日本資本主義は軍事的、警察的反動の状況の下で、国内の封建制の遺物の基礎の上に育ってきた」とのスターリンの汚い対日罵詈雑言がマッカーサーら占領軍総司令部の連中に信用され、彼らキリスト教徒に特有の独善的な救済の使命感を駆り立て、財閥、治安警察組織の解体や公職追放などアメリカの初期対日占領政策を形成したのである(6)。

つまり、その目玉産品である日本国憲法とはマッカーサー占領軍憲法であると同時にスターリン国際共産主義憲法でもあるのだ。だから憲法ではアメリカニズムとマルキシズムが鵺(ぬえ)のごとく混合しているのである。

我が日本は尾崎秀実、リヒャルト・ゾルゲ、そしてスターリンの謀略によって敗北させられたのに、スターリンの反日史観によって形成された反日的痴呆外国人製即席憲法を大東亜戦争に対する真摯な反省の証として半世紀以上に亙り後生大事に護り続けているのだ。

何たる屈辱、何たる錯乱か!

筆者は暗然として絶望の溜め息をつかざるを得ないのである、ハァ…。

 

(1)片岡鉄哉【さらば吉田茂】五十一頁。

(2)伊藤哲夫【憲法はかくして作られた】参照。

(3)昭和天皇は、護持されるべき我が国の国体(国の体質、国柄)を帝国憲法体制そのもの即ち帝国憲法が定める立憲自由主義議会制デモクラシー君主制と考えておられたが、宮沢俊義は、昭和三十年(一九六〇)に刊行された彼の著書「日本国憲法」の中で、「国体は天皇主権ということに帰着する」とウソを吐き、「それは厳密に学問的な概念として使われたことは少なく、多くの場合、明治憲法の下で天皇絶対主義、天皇神権主義、軍国主義、ファシズム等々を基礎づけるための単なる美名としての役割をもった。」と述べて国体論を悪用した戦前戦時の日本人を批判した。しかし東京帝国大学憲法学教授という権威をもって国体という概念にそのような役割を担わせ、国民を惑わせた張本人は、他でもない、宮沢俊義自身なのだ。

宮沢は、昭和十七年(一九四二)に刊行された彼の著書「憲法略説」で、

 

「大日本帝国は万世一系の天皇永遠にこれを統治し給う。これわが肇国以来の統治体制の根本原理であり、これをわが国家における固有且つ不変の統治体制原理とする。この固有にして不変な統治体制原理を国体という。」

 

と説き、同書八十一頁に前述の第三条に関する虚偽解釈を書き記したのである。彼は戦前戦後一貫して平然とウソを吐く時流便乗主義者であり、朝日新聞的な最悪の曲学阿世の学者であった。小森義峯【正統憲法復元改正への道標】一九一〜一九二頁、「東大法学部宮沢憲法学の売国性」

(4)西尾幹二【国民の歴史】三八四〜四〇一頁。

 アメリカ人が神道を理解することは非常に困難であったようで、占領憲法二十、八十九条の起源である神道指令の目的は、「神道の理論および信仰が日本国民をあざむき、これを侵略戦争に導こうとする軍国主義的および超国家主義的宣伝に再び悪用されることを防止するためである」であった。これを起草したウィリアム・バンズは後に「神道を誤解していた」と反省し自己の過誤を認めた。西修【日本国憲法を考える】一一八頁。

(5)西鋭夫【マッカーサーの犯罪】一九六〜二〇二頁。

(6)片岡鉄哉【さらば吉田茂】三十、四十四〜四十六頁。西鋭夫【富国弱民ニッポン】五十四〜六十四頁。児島襄【誤算の論理】二六〇頁。

 

 

14、占領憲法九条の解釈

 

 ホイットニー准将以下GHQ民政局はマッカーサー・ノートに基づき昭和二十一年二月三日から僅か六日間で総司令部草案を作成し、十日にこれをマッカーサーに提出した。ノートの第二原則は、草案第八条に盛り込まれたのであるが、その際に第二原則にあった「自国の安全を保全するための手段としての戦争をも放棄する」が削除された。

 

「国家の主権的権利としての戦争は廃棄される。武力による威嚇または武力の行使は、他国との紛争を解決する手段としては、永久に放棄される。

陸軍、海軍、空軍、その他の戦力は認められず、交戦権は日本に与えられない。」(総司令部案第八条)

 

一九八四年十一月、西修教授がケーディスと直接会見し、なぜ民政局はこのような修正を行ったのか質問したところ、彼は「非現実的と思ったから」と答えたという(1)。

日本政府は総司令部草案を日本語に翻訳してこれに基づき憲法改正草案を作成し、総司令部案第八条に若干の字句の修正を加えて、これを九条に移し、昭和二十一年六月二十日に開会された第九十回帝国議会に政府の改正草案を提出した。そしてこれが衆議院に設置された芦田均を長とする特別委員会で審議された際に、日本の丸腰状態の永続化を危惧する芦田委員長が、占領軍総司令部に気づかせぬまま、我が国の自衛権を留保し将来における自衛軍の再建を合法化するという含みを九条に持たせる為に、九条第二項に「前項の目的を達するため」という字句を挿入し、今日の憲法九条が成立したのである。

 

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 

戦後日本では、この憲法九条という一つの短文から多数の解釈文つまり学説が派生し論争を巻き起こしている。「自衛の為の戦争を含め一切の戦争および戦力を放棄している」とする説、「自衛の為といえども戦力の保持は許されないが、戦力に該当しない実力、すなわち自衛力の保持は許される」とする説、「憲法九条に法的規範性を認めず、主権国家に自衛権が留保されている限り、自衛の為の戦力は当然に保持し得る」とする説などがあり(2)、筆者が以前聞いた亀井静香代議士の談話によれば、九条の解釈は全部で二十数種類におよぶという。筆者の目には、一つの条項から多数の解釈が発生すること自体、占領憲法が最高法規の名に値しないインチキである証拠で、九条論争など乱痴気騒ぎにしか見えないのだが、ここでは、第九条第二項に秘められた芦田均の企図に沿い、占領憲法の枠内で何とか我が国の防衛を可能にしようと努力する良心的な憲法学者の学説を紹介しよう。

 

「前項の目的とは、憲法九条一項に、国家が放棄し、為さぬとしている行動、詳しく言えば、前述の如く、国際紛争解決の手段として、戦争、武力の威嚇又は行使を為さぬということである。そして、そのことが貫徹されることが、同条第二項に、前項の目的を達する為、ということである。そして、その為に、同条二項は、更に戦力を保持しないことを規定するのである。

ところで、同条第一項では、前述の如く、国際紛争解決の手段としての戦争、その他一定の行動を放棄し、国際紛争解決の手段としてでなく、例えば自衛の為にこれらの行動を為すことは、これを放棄していない。故に、この憲法第九条第一項の目的を達する為に、同条第二項が戦力を保持しない、とするのも、国際紛争解決の手段として行う戦争その他一定の行動をなす為にする戦力の保持についていうことは明らかである。したがって例えば、自衛の為にする戦力保持は禁止されたものではない。」(昭和二十七年、佐々木惣一京都大学名誉教授)

 

「ただ注意すべきことは、本条項が戦争、武力威嚇、または武力行使を放棄したのは、国際紛争解決の手段たることを条件とするものであって、無条件に放棄したものではないということである。したがって国際紛争を解決する手段に使わない戦争、すなわち侵略戦争でない戦争(自衛戦争、制裁戦争)は、本条一項の放棄(禁止)の範囲ではない。」(昭和二十八年、宇都宮志静男元防衛大学校教授)

 

「なるほど、憲法第九条第二項は、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない、国の交戦権はこれを認めないと定めている。しかし、この第二項の規定は、第一項の目的を達するための規定である。第一項の目的というのは、国際紛争を解決する手段としての戦争は永久にこれを放棄するということである。すなわち第二項の規定は、この第一項の目的制約を受けている規定である。そこで、軍備を設けない、また国の交戦権はこれを認めないと定めた第二項の規定は国際紛争を解決する手段としての戦争のための軍備はこれを保持しないし、また国の交戦権も認めないということなのである。

侵略に対する抵抗すなわち純然たる自衛の為の軍備をどうするかということについては、憲法は何も定めてはいないのである。自衛の為の軍備はこれを保持せよとも定めていなければ、保持してはならないとも定めてはいないのである。それ故に、純然たる自衛の為の軍備を設けるか設けないかは、違憲合憲の問題とは関係なく、その時々に日本国の自由に決定し得る問題なのである。このことは何を意味するか。日本がたとえ自衛軍を設けたとしても、それが憲法に違反するという問題は生じないということである。もちろん、自衛の為の軍備であれば、自ら限度がある。この限度を超える軍備を設けることは、憲法の認めないところである。

もっとも、自衛の為の軍備の程度も、それは相対的なものであって、その時々の国際的また社会的諸条件などによって定まる。それ故に、日本が軍備を設けた時、それが自衛軍かそうでないかは、それを設けた国家の客観的意図によって定まるというの外はない。」(昭和三十二年、大石義雄京都大名誉教授)

 

 以上に掲げたマッカーサー・ノート第二原則と総司令部草案第八条の内容、そして占領憲法九条の解釈の乱立とは、実は一九二八年の不戦条約の締結以降、人類が陥った戦争論もしくは戦争観の混乱そのものであり、これが国際法学と憲法学を殊更に煩雑難解なものに変貌させ、一般国民を法学から遠ざけるのである。

 

もし共産中国が日本の固有の領土である尖閣諸島を奪取するならば、共産中国は、日米(主に在日米軍)と台湾間の連絡を遮断し、台湾を東西より包囲挟撃することができるばかりか、沖縄本島に侵攻する為の足掛かりを獲得し、尖閣諸島に付随する広大な領海と排他的経済水域とそれらの海底に埋蔵されている膨大な資源を手中に収めることができる。現在の尖閣諸島は共産中国にとって喉から手が出るほど欲しい垂涎の戦略要衝である。そこで中国共産党が軍を動かし、日本に侵略されている中国の魚釣諸島を奪還するという「旧領回復」の大義名分を掲げ、尖閣諸島へ軍事侵攻を開始し、これに対して日本政府は直ちに我が国の個別的自衛権を発動、自衛隊に防衛出動を命令し、空自と海自が共同作戦をもって、尖閣諸島に向かい東シナ海を南航中の中共海軍の艦隊を全滅させたと仮定しよう。

中国共産党は、この日中間の武力衝突事件を、日本の侵略行為に対する共産中国の自衛戦争であると主張し、日本の武力行使を非難するに違いない。他方日本国民にとってはこの日本政府の防衛措置は紛れもなく共産中国の侵略行為に対する日本国の自衛権の行使であり自衛戦争である。だが同時にこれは、第三者の立場から見れば、尖閣諸島の領有権をめぐる日中両国間の紛争を日本側の有利に解決する為の武力の行使であろう。

従って、たとえ第九条原案に加えられた芦田修正によって日本国軍隊が出現する可能性が生じてきたことに気づいた極東委員会が総司令部を通じて日本政府に第六十六条第二項「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」(文民条項)を占領憲法典に追加挿入させたという経緯(3)があるにせよ、占領憲法が最高法規として有効であり、第九条がマッカーサーの立法意思とオルテガの説く戦争の本質を尊重する解釈を施されるならば、日本政府の防衛措置は明白に憲法違反であり、占領憲法第九条は我が国に「自衛の為の戦争を含め一切の戦争および戦力の放棄」を強要していると言わざるを得ないのである。

実際、一九五〇年元旦の日本国民に対するメッセージの中で、マッカーサーは、憲法九条は日本の自衛権を否定していない、と強調したが、これは米軍の沖縄駐留は合憲であるという意味にすぎず(4)、朝鮮戦争が勃発するまで、彼は「丸腰日本」の安全を確保する為には米軍の沖縄駐留だけで十分であり、日本の再軍備は不要であると確信していたのであった。

 

憲法九条は日本の国権の発動としての戦争と国際紛争解決のための武力の行使を放棄し、かつ日本の国防軍の保持と交戦権の行使を禁止する。これは明白に国防の禁止である。そして繰り返すが、国家の防衛とは国家の生存と同義であるから、第九条は独立主権国家としての我が国の生存そのものを否定している。これが占領憲法の真実なのである。だから昭和二十一年(一九四六)六月二十八、二十九日、政府の憲法改正草案の審議が行われた衆議院本会議において、

 

「野坂氏は国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、私はかくの如きことを認めることが有害であると思うのであります。近年の戦争の多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認めることが戦争を誘発する所以であると思うのであります。野坂氏のご意見の如きは有益無害の議論と私は考えます。」

 

という吉田茂首相の答弁に対して、共産党を代表する野坂参三代議士は、

 

「要するに当憲法第二章(第九条)は、我が国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある。それ故に我が党は、民族独立の為にこの憲法に反対しなければならない。」(第九十回帝国議会速記録)

 

という反対演説を行い第九条の規定に真正面から猛然と反対したのである。

占領軍による日本の自由デモクラシーの蹂躙を熟知する今日の我々の目には、共産党が占領憲法九条に反対し得たという史実は奇異に映る。江藤淳氏はこれについて、

 

「当時日本共産党は占領政策の一翼を担わされる立場にあり、特に野坂参三氏は、第九条の起草者ケーディス民政局次長の厚い信任を得ていたという事情を斟酌しなければならない。つまり共産党はそのころ安心してものが言える立場にあり、政府はそうでなかったという政治状況を無視して、これを草案批判が『自由』だった例証に挙げるのは、小林直樹氏がよほど知的に鈍感でなければ、論点のすり替えの不誠実を犯している証拠と断ぜざるを得ないのである。」

 

と解説されている。おそらく占領軍総司令部は、占領憲法の審議が日本の政府および議会の胸元に占領軍の銃剣が突きつけられた状況下で実施されていたことを隠蔽し、後世の日本国民をして、占領憲法はこれに反対する自由が保障された議会によって審議を尽くされた後、可決された正当なる日本の憲法である、と錯覚させる為に、野坂の反対演説に「お目こぼし」を与えたのであろうが、ともかく新憲法の成立にあたって共産党所属代議士の全員が反対投票を行い、さらに成立後についても反対を留保した。共産党が憲法九条に反対したことそれ自体は、我が国の政党として真に正しい主張であり態度であった(5)。

 

因みに共産党が占領憲法九条の守護者に転向し、自衛隊と日米同盟の解体を目指す反戦平和の政党を演じ始めるのは、彼らがスターリンの命令に基づき一九五二年五月〜七月にかけて敢行した非合法暴力革命闘争が、吉田茂の創設した治安警察部隊(警備隊、保安隊)によって阻止された以後のことである。その目的はコミンテルン二十八年テーゼに基づき日本国外の「反日」共産主義国軍隊を日本国内に誘致し、共産革命を実現し現在の占領憲法体制を破壊することであることは言うまでもない。共産党および社会党は断じて護憲政党ではない。なぜなら、もし彼らが本当に護憲主義者ならば、立憲自由主義議会制デモクラシー君主制を擁護し、占領憲法秩序の維持に絶対必要不可欠な皇室の繁栄を図る努力を惜しまないはずだからである。

 

筆者は占領憲法制定の過程を長々と述べてきたが、要するに、戦争とは、オルテガの言う通り、聖戦であれ無名の帥(大義名分を欠いた戦)であれ、或いは自衛であれ侵攻であれ、すべて国際紛争を解決する為の手段であり、決闘であり、政策なのである。従って戦争を消滅させ恒久平和を実現する道は、

 

1、戦争よりも合理的かつ有効な国際紛争を解決する手段を創造する。

 

もしくは、

 

2、国際紛争そのものを消滅させる。

 

以外にない。

世界各国の国民がそれぞれの自国内でサモアの人々のごとく平和で豊かな生活を送ることが可能であったとしても、1もしくは2が実現されなければ、戦争は国家が自力救済を図る手段として必要なのである。

日本で念仏平和主義者が戦争の消滅と恒久平和の招来を念じ「平和の尊さ、戦争の悲惨さ」を訴え護憲平和主義を叫んでも、純粋無垢な高校生達が戦争反対のプラカードを掲げ楽器を演奏しながら平和を求めるデモ行進と署名活動を行っても、朝日新聞以下の反日左翼マスコミが占領憲法九条を崇拝し、毎年八月六〜十五日に日本軍に関する反日虚偽報道を繰り返しても、それらは単なる時間と体力と資源の浪費にすぎないのであって、戦争の消滅には全然役立たない。ただエントロピー(電力の消費に伴い排出される二酸化炭素や熱など諸々の廃棄物のことで、簡単にいえばゴミ。マスコミとは正真正銘のマスゴミである)を無意味に増大させ地球環境を汚染するばかりなのである。

 

大東亜戦争に敗北した後の日本に蔓延する反戦平和運動に熱中している良心的な日本人および撫順戦犯管理所で中国共産党に洗脳された元日本軍将兵(中帰連の老人)の反日虚言を根拠に日本軍を犯罪集団に貶める「戦争と罪責」という反日偽書を刊行した不養生な精神医学者(即之基地外也)の野田正彰、そして野田を平和学の講師として招聘したことによって関西学院大学が真理探究の学府ではないことを自ら暴露してしまった同大学当局は、戦争と平和を考える前に、一九三四年のハーグ国際アカデミーにおいてレンヌ大学教授エミール・ジローによって呈された以下の苦言を良薬として服用し、まず頭を冷やさねばなるまい(6)。

 

「侵略を阻止し禁遏するためには、国家政策の手段としての戦争に訴えることの不正を宣言しただけでは、十分ではない。侵略の定義を作ることも大して役には立たぬ。国際組織の全体を不戦条約によって宣言された新しい観念の線に作り直さねばならない。さもなくば新観念は現実性なく生命なきものとなる。

平和をプラトニックな願望や、根のない気まぐれや、抽象的な宣言や、言葉やジェスチャーで安直に入手できると信じるのは幼稚の極みであり、幻想の極致である。

古いことわざに結果を求める人は手段を求めるという。手段を捨てる者は、まさに結果を捨てるものである。」

 

それでは世界恒久平和を実現するための1、2の道は果たして本当に実現可能な手段であるか否か?この命題の解答を探求するために、まず二十世紀の国際社会において試みられ、そして挫折した「平和への努力」を振り返ってみよう。

 

(1)西【日本国憲法を考える】八十五頁。

(2)佐藤和男【憲法九条、侵略戦争、東京裁判】三十二〜三十五頁。

(3)極東委員会が憲法に文民条項を強制挿入した目的は、軍部大臣現役武官制度の復活を未然に防止することにあったという。同委員会は日本の軍国主義化の原因をこの制度に求めたのである。しかしこの歴史観は誤謬である。昭和十一年に同制度が復活した後も、依然として議会が予算協賛権を行使し政府と軍部を支配していたからである。一九三四年に陸軍省軍事課員の池田純久が出版した「軍事行政」と題する著書にも、議会は軍事予算の審議を通して間接的に軍を監督する、と記述されており、戦前の軍人は帝国憲法を理解し議会の持つ強大な権限をよく認識していた。

 そもそもシビリアン・コントロールとは、軍事面におけるデモクラシーのことで、国民の代表である政治家が軍事(軍政、軍令)を支配する制度である。軍政(軍の人事、兵力量、予算編成)は行政権の範疇に入るが、軍令(作戦用兵)は行政ではなく統帥権(佐々木惣一博士の解説に従えば、軍の軍事行動および軍事行動の準備に付き軍を指揮する権限を指し、簡単に言えば、軍隊を動かす権限)に属する。もし現役の軍人が軍政を所管する国防大臣(あるいはその他の国務大臣)に就任しても、彼が議会に選ばれた内閣総理大臣によって任免されるならば、それはシビリアン・コントロール上なんら問題はないのである。そして我が国において支那事変を拡大長期化させ日本を対米英戦に誘導した最高責任者は、軍部ではなく近衛文麿という文民総理であったことを考えると、憲法六十六条もまた大東亜戦争に対する無知と無反省の産物であると言えよう。

(4)片岡【さらば吉田茂】一三四頁。

(5)江藤淳【一九四六年憲法その拘束】一五九頁、佐藤【憲法九条、侵略戦争、東京裁判】四十三頁。

(6)田岡良一【国際法上の自衛権】三〇四頁。

 

 

 

 

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